はじめに
2026年10月、ランサムウェア集団「Qilin(キリン)」の中心メンバーとされるロシア国籍の男(28)が、同年5月に大阪市内で日本の捜査当局に身柄を拘束されていたと報じられました。男はドイツの物流会社への攻撃に関与した疑いでドイツ当局の捜査対象となっており、10月2日にドイツ側へ引き渡されています。
ランサムウェア集団の摘発に日本の警察が関わった例は、これまでにもあります。ただ、その多くは暗号資産の流れの解析や復号ツールの開発といった「後方支援」で、容疑者の身柄が確保されたのは海外でした。
今回は、中核メンバーとされる人物が日本国内で拘束されています。報道によれば男は旅行中だったとされ、国際手配された人物が日本に入国したところを押さえた形です。公開報道を当たった範囲では、ランサムウェア集団の中核メンバーを日本国内で拘束した例はほかに見当たりませんでした。
この報道を受けて、QilinはJNNの取材に「チームの公式声明」として回答しました。ニュースでは「日本は世界最悪のコンピュータセキュリティ体制を持つ国のひとつ」という部分が見出しになり、話題になりました。
この記事では、「世界最悪」と「攻撃は今後増える」という主張を事実と照らし合わせます。そのうえで、中小企業がいま手を打つべき点を整理します。
声明の原文を読む
JNNが受け取った声明(2026年10月7日付)のうち、日本に触れた部分の原文は次の通りです。
I want to emphasize that we have a specific list of countries where we do not conduct business. Japan is not included in this list. We also know that Japan has one of the worst computer security systems in the world. This is why I think the number of attacks on companies and government agencies in Japan may increase. I want to emphasize that this is not a threat, but our expert opinion, which is based on an analysis of attacks and attempts to counter them in Japan.
日本語に直すと、おおよそ次のようになります。
強調しておきたいのは、私たちには「ビジネスをしない国」の明確なリストがあるということだ。日本はそのリストに入っていない。また、日本は世界で最も劣ったコンピュータセキュリティのシステムを持つ国のひとつだと私たちは知っている。だから、日本の企業や政府機関への攻撃は増えるかもしれないと考えている。これは脅しではなく、日本での攻撃と、それに対抗しようとする試みを分析したうえでの専門家としての意見だ。
声明の中心は、やはりこの一文です。
We also know that Japan has one of the worst computer security systems in the world.
彼らは日本を、はっきり「世界最悪の部類」に入れています。
「世界最悪」が指しているもの
彼らが根拠に挙げているのは「日本での攻撃と、それに対抗しようとする試みの分析」です。自分たちの攻撃が日本の組織にどれだけ通ったか、被害を受けた側がどう対処したかを見て「世界最悪」と言っています。つまりこの評価は、攻撃する側から見た「現場の守りの手応え」です。
Qilinの声明は警告ではなく、「宣伝」
同じ声明の中で、Qilinは自分たちについて次のようにも書いています。
Our team does not hack, illegally access, or steal data. We provide a platform for negotiations.
「私たちはハッキングも不正アクセスもデータ窃取もしない。交渉のためのプラットフォームを提供している」という主張です。
これはRaaS(Ransomware as a Service:ランサムウェアを「サービス」として貸し出す分業型の犯罪モデル)の自己紹介そのものです。運営側が攻撃ツールとリークサイト、身代金交渉の場を用意し、実際の侵入はアフィリエイトと呼ばれる外部の実行者が行います。声明にある「世界中の匿名の300人以上のパートナー」も、この実行者たちを指していると考えられます。
こうした構造を踏まえると、「日本は守りが弱く、攻撃は増える」という発言は、警告よりも宣伝として機能します。読み手には日本の視聴者だけでなく、彼らのプラットフォームを使う実行者も含まれるからです。「脅しではない」という言葉は文字通りには受け取れません。
「世界最悪」は本当か ― 数字で確認する
宣伝であっても、中身が外れているとは限りません。各国の守りを同じ物差しで比べた統計はないため、「世界で最悪かどうか」は証明できません。しかし、警察庁が2026年9月に公表した上半期の統計を見ると、彼らの言い分には裏付けのある部分があります。
| 項目 | 2026年上半期(警察庁) |
|---|---|
| ランサムウェア被害の報告件数 | 123件(半期として過去最多) |
| うち中小企業 | 79件(約64%) |
| 侵入経路(判明した36件) | VPN機器 18件/リモートデスクトップ 9件 |
| 1か月未満で復旧できた割合 | 48件中23件(半数弱) |
| 調査・復旧費用が1,000万円以上 | 35件中21件 |
被害件数は過去最多を更新しています。侵入経路の4分の3は社外からの接続口(VPN機器とリモートデスクトップ)で、復旧に1か月以上かかる組織が半数を超えます。「攻撃が通り、しかも立ち直りが遅い」という構図は、数字にも表れています。
また、Cisco Talosの分析によると、2025年に日本で確認されたランサムウェア被害134件のうち、最も多かったのがQilinで22件でした。Qilinにとって日本は、すでに実績のある「市場」です。
大企業の情報漏えいは「前兆」なのか
2026年秋は、大企業の不正アクセスや情報漏えいの公表が相次いでいます。TBSの報道によれば、10月に入ってから公表された個人情報の流出は約1,500万件にのぼります。これを「Qilinの言う攻撃増加の前兆」と見る声もあります。
ただし、ここは二つに分けて考える必要があります。
- ランサムウェア型:システムを暗号化して業務を止め、データの公開をちらつかせて金銭を要求するもの。大学のサーバー停止のように、業務そのものの停止につながります。
- アカウント不正利用型:漏えいしたIDとパスワードを使ってサービスにログインし、個人情報やポイントを盗むもの。システムは止まりませんが、利用者の被害が直接出ます。
この二つは、手口と対策がそれぞれ異なります。そして、相次ぐ漏えいのうちどれにQilinが関わっているかは確認されていません。JNNは10月6日に関与の有無をQilinに問い合わせていますが、報道の時点では明確な答えはありませんでした。
ですから、「前兆」というより、攻撃の増加はすでに起きていると見るほうが正確です。被害の6割以上が中小企業だという点も見落とせません。大企業の事件はニュースになりやすいだけで、狙われている数は中小企業のほうが多いのです。
中小企業がいま手を打つべき5つのこと
声明は、彼らが「日本の組織がどう対抗しているか」を観察していると明言しています。裏返せば、彼らが見ているポイントを一つずつ潰していくことが対策になります。
1. 社外からの入口を数え直す
VPN機器、リモートデスクトップ、保守業者が設置したリモート保守回線など、社外から社内につながる入口をすべて洗い出してください。警察庁の統計で侵入経路の4分の3を占めるのがこの部分です。「業者が置いたまま誰も管理していない機器」が最も危険です。
2. 入口には必ず多要素認証を
Qilinの侵入は、盗まれたIDとパスワードから始まることが多いと分析されています。漏えいした認証情報は、犯罪者向けの掲示板やチャットで売買されています。パスワードだけで入れる入口が一つでも残っていれば、そこが狙われます。退職者や外部業者のアカウントが残っていないかも、あわせて確認してください。
3. 「侵入から暗号化まで」の時間を検知に使う
Talosの分析では、侵入されてからランサムウェアが実行されるまで、平均で約6日かかっています。この間に、深夜の管理者アカウント作成や、普段使わない端末からのログインといった異変を拾えるかどうかが分かれ目になります。ログを取るだけでなく、誰かが通知を見る仕組みまで用意してください。
4. 消されないバックアップと、復元の練習
バックアップがあっても、一緒に暗号化されてしまえば役に立ちません。ネットワークから切り離した保管や、書き換えできない形式での保管を検討してください。そして、実際に戻せるかを一度は試してください。復旧に1か月以上かかる組織が半数を超えるのは、「戻せるはず」が「戻せなかった」に変わる場面が多いからです。
5. 止まったときの判断を先に決めておく
業務が1か月止まった場合、何に困るか。誰が判断し、どこに相談するか(警察、取引先、保険会社など)。身代金の支払いにどう向き合うか。これを事前に決めておくと、相手の「交渉の場」に追い込まれにくくなります。
まとめ
- 今回の拘束は、ランサムウェア集団の中核メンバーを日本国内で押さえた珍しいケースです。
- Qilinは原文でも、日本のセキュリティを「世界最悪の部類(one of the worst)」と明言しています。指しているのは政策ではなく、企業や組織のシステムの守りです。
- その直前には「日本は攻撃しない国のリストに入っていない」という一文があり、「世界最悪」は日本を攻撃し続ける理由として語られています。
- 「脅しではない」という言葉とは裏腹に、声明は日本を狙う実行者への宣伝としても読めます。
- 「世界最悪」かどうかは比べようがありません。ただ統計を見る限り、日本で攻撃が通りやすく、立ち直りに時間がかかっているのは事実です。被害の6割以上は中小企業です。
声明を「犯罪者の挑発」として聞き流すのは簡単です。しかし、彼らが挙げた弱点の多くは、社外からの入口、認証、バックアップといった、自社で点検できる部分にあります。
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参考資料
- TBS NEWS DIG「【独自】”日本は世界最悪のコンピュータセキュリティ体制” ハッカー集団『Qilin』中心メンバー拘束で取材に応じる」(2026年10月7日、放送画面の声明原文を参照)動画
- TBS NEWS DIG「国際ハッカー集団『Qilin』メンバーを日本で拘束」【news23】(2026年10月6日)動画
- ビジネス+IT「ランサムウェア集団 Qilin(キリン)の中心メンバー日本で拘束」(2026年10月)
- 警察庁「令和8年上半期におけるサイバー空間をめぐる脅威の情勢等について」(2026年9月)
- Cisco Talos “An overview of ransomware threats in Japan in 2025 and early detection insights from Qilin cases“
- Group-IB “Qilin ransomware“(2023年)
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